グランド脇の用水路は水嵩をふやし普段澱み気味の水を一掃して底が透けて見える流れにかわっていた。上流の祇園あたりの取水口の堰が開放され、田植えを待つ田んぼに給水を施すのだろう。この地域は戦国時代に三村:宇喜多の戦場になって、豊穣の稲田を人足騎馬に蹂躙された経緯があり、以後安定の世になって風にゆれる緑の稲田はよみがえり、遠景に遮る物はなし一面稲穂たるる平野であった。
 近世昭和後期から平成にいたり、縦横に走る用水路の上流と下流と呼ばれる区間を除いて中流域はほとんど市のベットダウン化し新興住宅の化粧直しに重機の爪が入り舗装、建築で吸収をやめたために豪雨のさい溢れた水の排水溝が防災有為の役割で活きている。ところどころに祭祀されている首塚が阿寒として世の移りを眺めているだけである。
 下水道未着手でいささかも汚れている澱みを洗い流し、川藻の揺れる水勢になれば情緒としては水郷の昔日を偲ぶに足りる。

 陽が陰った夕方、用水路を覗き込めば、舞妓娘の洗い髪のようにゆらゆらする藻の先を背を故意にかきわけて不条理な水紋があらわれ、そこには必ず、鯉が居、鯰が居、たまさか鼈が居て、見る人を楽しましてくれる。
 鯉はたいてい伴侶を連れていて、粗い漆黒の縁を重ねた鱗をみせびらかせ、人目を感知すると一匹が底泥をまいて煙幕をあげて上に突進、残る一匹は下に走り藻の中の忍者になる。鯰は、鯉よりえらそうな見栄えのする口髭を自在に震わして伴侶ともども泥の煙幕たてて上、下といわず遁走をおこなう。
 集団で移動する鮒は黒い塊で前後に分散を試みめくらましに興ずる。
 鯉も鮒も鯰も、いわずとしれて、産卵の乱舞を迎える兆候をみせている。
 彼らは太古中世を短い命でつなぎつつ、今もその役目を果たさんがために上流を目指して泳いできたのである。

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