とんび歳時記ー百閒川のいろどり9ーコスモス
とんび歳時記ー百閒川のいろどり9ーコスモス
 コスモスを漢字になおすと秋桜になる。一輪一輪もかわいいが群生させるとたちまち豪華な花苑になり、両手いっぱいの花束になる、鬱々したものを空におもいきり放りなげたい気分にさしてくれる。
 地方のイベントにコスモス園が一役かっているのを再々耳にし眼にする。
 この画像は岡東浄水Cが開花時期のみ市民に開放したものを最終日にでかけたときのものである。
 抜ける青空の陽にひとひらの花弁を透かしてみると一時の平安のやすらぎがとびこんでくるではないか。

prose-景色③

2014年12月5日 エッセイ
 病院が建つ側は大河の右岸で岡北大橋から堤防に下りて散歩コースの起点になる。右岸をそのまま北へ向かうと県道27号線にぶつかりそこは三野公園の入り口がまちかまえている。落葉樹の橙色は紅葉とはいいがたく、うすよごれた彩は鮮やかな面持ちにしてくれない。ときにこの時期、県南の里山自然植物はすっきりした紅というものがなく、木も草もおしなべてくすんだ枯葉になり根や球根の方に精気を凝縮させているのである。春先の新芽が萌えるまで数カ月のあいだは、寒さや冷たさにじっと耐えるしかないのである。

prose-景色②

2014年12月2日 エッセイ
 幾日も棟の窓から視線をなげてみても一向に変わり映えしない光景で、断続に走る車両などは7階から見るとマッチ箱の屋根、まだらに歩行している人間はマッチ棒さながらの動きで民家、並木、橙色に照る無数の瓦の不動に蟻ほどの目をかすめるだけである。
 突発とか奇跡とか偶然、故意の沸きおこりはなく針で皮膚を縫うような救急車の痛みがときおりこの病院の救急入口にとびこんでくるだけで、たちまち静寂にかえると日常の有様に収まるだけで倦むのである。
 建物の正面側に広い道路があって、少しいくとT字の岐路にぶつかり、右にとれば旭川堤防の右岸道路にあがるようになる。中流域の広さを流れる水流はゆったりとした平穏な貌をみせて、どこか秋の匂いや風情につつまれ、なにごともないように下流へむかっている。
 わたしは、こうやって一向に変化のない景色を眺めていてやたらこまごました世の中の動きを背に倦怠の日々をすごしていた。

 熱い舗装のうえを向かいの叢に逃げこもうとしているミミズは一匹二匹ではない。限られた区間だが足の踏み場に戸惑うほどの数で、今頃の季節に河川敷の遊歩道でみられる現象だ。
 前日降雨があって強い日差しに蒸されたとき、この現象はおきる。
 足も鱗もないので前進は身をくねらせ、ごくごく繊細な毛をつかってまどろっこしく動き、焼けて卵焼きができるほどの路面を匍進する。
「朝夕は秋の涼しさだなあ」
 公園で犬散歩の仲間ではこんな会話がでた。
「もうエアコンいらないやね」
「ところが週刊天気予報をみると来週は雲と太陽がならんでついていたから、残暑きびしくなるかしれないよ」
「やだねえ。人間も犬も生物全般がやるせなくなるぜ」
「だから、生体のリズムも思考のぜんまいがおかしくなって世界的に紛争が勃発しているんだ」
「・・・」
 不安定きわまる天候が続く。
 弁当わすれても傘をわすれぬな、山陰の言葉があてはまる毎日。
 薄皮をかぶった空でやれ安心とおもい空手で外出すると、とたんに黒い雲の下になり屋根をたたく雨脚にみまわられる。
 昼どきはいざしらず、朝夜の涼しさは安らかな呼吸ができるようになった。
 でも、前線が霧消し太平洋高気圧が湿った気流をとうせんぼすると、酷な残暑が、きっとやってくる筈だ。
 扇風機に格下げした空調もふたたびエアコンの出番になる。

 プランター栽培のメロンがふたつソフトボール大に育った。着果して1,5月になり手のひらにのせるとどっしりと充実した実の重さがあった。
 そこで網目のメロンを収穫し冷蔵庫で冷やしてから包丁をいれた。果肉たっぷり、舌舐めずりしたが(?・・)と瞬間口から放した、硬い果肉は芳香に乏しい若女で、どちらかと言うと青臭い。熟していないのに手をつけてしまった。
 いまひとつの黄色いツルッとした方のメロンは案に違わず完熟していた。脳を糖衣で包み込み舌の上で蕩けるほどの果肉と濃密な芳香、これは栽培成功だった。余は満足満足!
 天候不順で昼前後に黒雲がわき雨脚がつよくなる。地区の夏まつりも中止かなとおもっていたら午後は薄曇りの程よい気候になった。
 民児協ブースにOBとして声がかかったので16時すぎカメラをもって小学校にでかける。
 

prose-噴戦

2014年8月18日 エッセイ
 石田三成は政治的駆け引き戦略においては愚将である。

 歴史上、なにが面白いかといったら慶長三年八月に勃発した関ヶ原の戦いの前後における諸将の動向であろう。人の世の有様は時間を超えて生きている。
 よく天下分け目の戦いといわれるが、この戦にかける徳川家康の遠謀は内実天下取りに疑いないとしても、両軍とも豊臣の安寧をかかげた名目の主導権争いの、いわば口実の鞘当だから、豊臣政権内の勢力争いの紛争にすぎない。
 秀吉遺言をないがしろにする家康のみえみえで撒く餌に一喜一憂してふりまわされ、短慮の決起にはしったもので、いくら経済に秀逸していても人心掌握の要諦をわきまえない三成たる一官僚が丸裸でやるべきでないことは確かだ。
 戦経験豊かで苦渋辛酸をのりこえてきたリーダの家康に対し、最前線の戦経験も大きな渦の政治的采配の資質を持たない一奉行の突出はあまりにも無謀だった。故に関ヶ原の戦いは西軍の惨敗におわったが、その要因を大きくとりあげると、
 【三成に人心がなく得難いトップがいなかった。】
ことにつきる。

 
 ムンムン ムシムシ 室内温度28度、湿度85%・・・エアコンの除湿をかけると室外機からの排水がおどろくほどながれる。何度も肌着を仕替え幾度も冷水シャワーを浴びる日々である。シトシトふりそぼる雨かとおもえば、屋根をたたくほどの豪雨にかわり、たちまち止んで雲間の薄日がさしてきたとおもったら重たい雲に覆われ午過ぎには夕暮れの粧に暗転してしまう。昭和に構築された身体のメカは狂わしい平成のリズムについていかれなくなってしまうのでは。
 夏の台風は緩慢な動きをするのが定番、暴れん坊がもたもた速度で日本列島を舐めて進むものだから被害規模が大きくなる。それも手いっぱいひろげているので、南海に位置しているのにかかわらず東海東北北海道の勢力圏の離れた地方に豪雨をもたらしている。気流の流れが悪いとはいわないが大陸の国にお裾分けをしたいくらいだ。

prose-写真展

2014年8月7日 エッセイ
 エネルギアプラザ・ギャラリーで開かれている「写友OKAYAMA写真展」に足をはこんだ。友人が会員で作品を展示しておられる。
 タイトル「林縁に咲く」の一品は私の目には秀逸、花弁にウエーブがかかる時期を捉え一点のピントとボケの二輪、背景の点描に演出の巧みさを感じた。
 

prose-風の道

2014年8月2日 エッセイ
 この山合いの道は吉備高原の裾をくねくねうねりながら峠を越えて真庭にいきたる。中国山脈からながれる風圧も峠をかわすととかなり穏やかに狭隘にある集落や段々の田畑を撫て吉備高原の丘陵にぶつかる。
 ドライブがてら往く地蔵尊はゆるやかな勾配の裾口に位置する東側の山の中腹にある。
 うだる暑さもここまでくると岡山市内からは1~2度ちがい、木々に葉裏をみさせてながれる風の心地よさを味わうことができる。

 山はいい、海は山の滋養をもらって豊穣をもたらしている。生物の源泉は山であり山は植物の繁生でささえられている。
 梢のベンチで憩うとしみじみそう想う。
 横山のブッポウソウは23日に最後のヒナが巣立ったとのビラがお堂に貼られていた。田んぼの電柱にあった巣箱は撤去されていた。狙撃手のように撮影していたカメラの放列は霧散して人ひとりもいず駐車の影もなく、濃くなった緑の枝がさわさわ鳴って山あいを埋めていた。
 野焼きの煙がたゆたうほどに狭隘の天にのぼり、声なく叫びなくタイヤの悲鳴もなく、自然に埋没してふやけた脳を存分に癒してきた。 

 不正がまたや中国で発生した。「死人はでていない」、耳を疑うような従業員の捨て台詞にただただもう唖然とせざるをえない。輸出で稼ぐ食品でゆえ独裁国家の中枢機構に責めがあるのにも拘わらず国家主席きんぺんのコメントは頬かぶりでなにもなし、これがもし日本が中国あたりの輸出物に同様なことが発生していたとすれば、万里の長城のような非難を浴びせるだろう。
 今日の報道でながれた中国のコメントは、米国の子会社だから品質管理は米国の杜撰さに負う、とのこと。
 うまく逃げたなの常套手段。中華思想に落度はないという台詞だ。
台湾離島で旅客機墜落
ウクライナ情勢 旅客機をミサイルで撃墜
韓国旅客機が着陸に失敗・炎上
ナイジェリア旅客機墜落事故

 いずれも航空機の近々に発生した撃墜墜落したもの。
 だからいったじゃないの、飛行機は落ちるし船は沈むんだよ。

 もうすぐ夏本番になる。
 外歩きしているときは汗しらずでも、帰宅して玄関を入るとたちまち体があつくなり玉の汗が首筋に背に胸に湧いて不快をおぼえて、急ぎ足でシャワーを浴びることになる。そのあとでよく冷えた飲み物を喉を通すと爽快な涼味をおぼえる。
 のんべぇにはまとない季節だが昼間からのビールはいささか気がひける。さいわいわがやには自家製の麦茶、しそジュース、ウメジュース、大豆ジユースなどが冷蔵庫にたくわえてあるのでそのときの気分で渇きを癒すことができる。

 この季節、わたしには欠かせない根野菜の食べ物がある、ラッキョである、それも小粒のものがベター、根茎薄皮洗浄したものを賄うことができれば手いらずでよいのだが、めぐりあえないことが多いので泥つきのものを買うと事前処理、すなわち、しょうやくに大変である。
 塩着けしてのちダイレクトに醤油にひたひたし一日冷蔵庫でねかして次の日には食卓にならべる。
 好きなものこそ美味なり、ご飯のそうさいにばりばり音をたてて猛暑をのりきることにしている。
 ただ無性に放屁のくせがあらわれので計画予定のある日は前日から咀嚼嚥下に留意すべき。
 白い靄に覆われ視界のきかない川岸を悠然とピシッと身なりを決めた騎士が歩いていると、無岸の水面に足をふみいれたのか忽然と姿を消してしまう。騎士は水中から「何故だッ」と叫びつつ我をうしない水没していく。
 ーーー「林原家」 同族経営の警鐘ーーー
 を読んで正直そんな状況をおもった。
 一般株式会社組織で活動してきた者は、ただただ同族会社の経理を直視しない経営者の実態さらに銀行の無機能に唖然とするばかり。財務表を注視分析しないのにも、疑問符がつく。
 
 

  
 台風が過ぎて梅雨の晴れ間、薄絹の雲間をすかして容赦なく陽が照り、えんえんとつづく舗装を歩いて木陰にやすむと汗が噴き出る。
 午日中をさけ早々に帰宅して冷えた水で喉をうるおすと桃園にもました潤いが得られる。
 鉢植えの植物に散水していると「せみが鳴いていましたよ」と声をかけられた。
 夏一番に鳴くニイニイ蝉だろう。
 いよいよ暑さにつやがでてきだした。
 ふと、トタン屋根の猫をおもいだした。

prose-幸境

2014年7月11日 エッセイ
 過日、ご無沙汰している知人宅に訪問した。山野草では師匠の格、その知識は頭を垂れるほどの博識で毎年新しい名前のものをおりまぜてをブログに公開しておられる。
 途中で腰折れした者からみれば、その一途なバイタリティと行動力には本人の意向を大としながら、夫唱婦随、いや場合によっては婦唱夫随かもしれない共鳴が継続のスプリングになって跳ねておられる。興味をしめさない家族構成であればこうはいかない、目標目的が同一であればこのうえない幸境だろう。
 

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