あたりまえのことだが人間もとより動植物は睡眠しなくては身体維持できない。もっとも昼夜逆転の生き方を選択しているかぎりは夜中に活動していても昼間ぐっすりねているだろうから、トータルではさしさわりないらしい。
 人間も定年をむかえさしたる目的の必要がなくなり、義務的な枷から解きはなされるとボーッと霞か靄か霧のなかにいるような時間軸にひたりだすと、前後左右垂直平行の歯車が均衡をうしないかねない。だからいつ寝ていつ起きるのかの定則など承知しなくなるものだから暇さえあれば睡魔にまかれるようになる。
 屋内外の趣味道楽にはげんだり、机上のパソコン、読書にうつつぬかして、それこそ広い意味で充実していたら、文句がないのではなかろうか。だがこういう自己に埋没する行動はとかく家人でも他人の評価対象になりえないので、掃く拭く磨くの動きを目にみえるようにおりこみながら現の存在を欠かせないのである。
 病と格闘しているときはその動きもままならない。少々の痛さなら忍の字で最小限の家事貢献は行うべき、かも。
 
 昼食後、本を読んでいるとかくじつにコックリさんがやってくる、椅子で何度か頭をたれてハッとし、これはいかんとソファーに横臥すると本格的にコックリさんがおおいかぶさってくる、おおよそ1時間ぐらいで覚醒し、眠気まなこでテレビをみていると、ふたたび快くなるのである。夜は9時台のニュースを見おさめするまでもなく瞼がおりて、ふと気がついてもう朝かなとおもったら0時、それから2回ほどトイレにいったりしたら間断的睡眠の連続である。
 おおむね7時間は寝ているという自己弁明しているのであるが、その根拠は一日の間断睡眠を掃き集め、足算するとかくのごとき数字になるのだ。
 
 

 

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